2017年 12月 10日
25年前の、心に残る旅 |
12月12日が来ると、毎年あの日の事を思い出します。
冷たい東北の空気、暖かい車内、曇った窓ガラスの向こうに見える灰色の景色…
今から25年前、1992年12月の話です。中学2年生だった私は親父と共に初めて”旅”をしました。それまで車での旅行は多かったのですが、鉄道の旅はこれが初めて。なぜ行く事になったのかは思い出せませんが、当時発売された「ハートランドフリー切符」という乗り放題のフリー切符を使ってキャッチフレーズ通り「その先の日本へ」行ったのでした。
始発の東北新幹線で盛岡まで。この時、初めて新幹線に乗りました。
東北新幹線の終点・盛岡からは特急はつかりで青森へに乗りました。今では帰省で頻繁に訪れる盛岡も、これが初めての訪問。新幹線からはつかりへ乗り継ぐ人が皆駆け足でした。今から思うと盛岡駅も随分とにぎわっていました。
青森から特急たざわに乗って秋田へ。雪の青森駅、とても寒かった。淡々と鉄路を刻み走る列車。そして初めて見る車両たち。
秋田からは普通列車で由利本荘へ行き一泊。普通列車といっても機関車が数量の客車を引っ張る列車で驚きました。また由利本荘の宿が銀河鉄道999に出てくるようなボロ宿で凄かった!
翌朝は由利本荘から普通列車で村上へ。こちらも機関車が客車を引く列車。宮脇俊三氏の本を読み「普通客車列車」を体験したいと思っていましたが、ようやく乗る事ができました。鈍行客車列車の旅。村上までは2時間半の道のりです。長時間停車や特急・貨物列車の通過待ちがあったりと、のんびりのんびり走るのでした。この年の夏に訪れた笹川流れの通過を前に今川駅で窓を開けて撮ったのが冒頭の写真。この2枚の写真を鉄道ファンの写真コンクールに応募したところ入選。この旅はカメラに打ち込むキッカケにもなりました。
村上~新潟間は特急白鳥。青森と大阪を結ぶボンネット特急ですが、乗ったのはわずかな区間でした。
新潟から上越新幹線に乗って高崎まで。そこからは八高線に乗って帰りました。東京に近いところでディーゼルカーが走っていた事に驚きました。
1泊2日の旅ですが、とても長くとても印象深い旅でした。この旅がその後の生き方を決定付けたと言っても良いと思います。当時の時刻表も大切に持っています。この時刻表は3ヶ月後に行った初めての一人旅でも持参しました。我が青春の時刻表です。
今再びあの列車たちに乗る事は叶いませんが、鉄道模型として手元に留めています。しかしどれもすんなり集まった訳ではなく、485系の特急はすべて揃うのに10年ほど掛りました。先日ようやく発売された白鳥は大阪で購入しました。こうやって眺めていると当時の旅を思い出します。鉄道模型は想像力を駆使する紳士の趣味です。
50系普通客車列車はこの旅から帰った後すぐに揃えました。窓枠に色を塗ったり、テールライトを入れたり、ステッカーやデカールを貼ってグレードアップしています。今ではもっと完成度の高いモデルが発売されましたが、買い換えるつもりはありません。この模型には25年分の思い出がギッシリ詰まっています。
あれから四半世紀経ちました。旅のスタイルこそ変わっても私は旅が好きです。旅が好きになった旅、いつまでも大切にします。
今から25年前、1992年12月の話です。中学2年生だった私は親父と共に初めて”旅”をしました。それまで車での旅行は多かったのですが、鉄道の旅はこれが初めて。なぜ行く事になったのかは思い出せませんが、当時発売された「ハートランドフリー切符」という乗り放題のフリー切符を使ってキャッチフレーズ通り「その先の日本へ」行ったのでした。
始発の東北新幹線で盛岡まで。この時、初めて新幹線に乗りました。
翌朝は由利本荘から普通列車で村上へ。こちらも機関車が客車を引く列車。宮脇俊三氏の本を読み「普通客車列車」を体験したいと思っていましたが、ようやく乗る事ができました。鈍行客車列車の旅。村上までは2時間半の道のりです。長時間停車や特急・貨物列車の通過待ちがあったりと、のんびりのんびり走るのでした。この年の夏に訪れた笹川流れの通過を前に今川駅で窓を開けて撮ったのが冒頭の写真。この2枚の写真を鉄道ファンの写真コンクールに応募したところ入選。この旅はカメラに打ち込むキッカケにもなりました。
by adv-kou
| 2017-12-10 19:13
| 旅
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