2010年 12月 04日
新幹線開業の陰で… |
朝からお祝いムードです。東北新幹線がようやく全線開業しました。便利になるのはいいことですが、最近は地域に与える影響も無視できなくなってきました。便利になった代償として、人口の流出や地域の衰退といった問題も取り上げられております。→「東北新幹線全線開業/ゴールではない、出発点だ」
事実、新幹線開業と引き換えに東北本線・八戸~青森間が、採算が取れないから、という理由で、JRから分離されております。ドル箱だけ頂いてあとは捨てるというやり方は廃止よりまだ幾分マシなのかもしれませんが、沿線の住民の鉄道離れはさらに加速しそうです。自治体やJRの更なる取り組みに期待したいところですね。
↑今回の開業で経営分離された区間を走る、JRの普通列車。15年前訪れた時は特急列車や貨物が行き交う中を客車鈍行がのんびりと走っていました。(野内~浅虫温泉) この列車を牽引するのは田端のEF81。寝台特急を牽引して東京からやってきて、昼間は東北の普通列車を引っ張り、また寝台特急を引いて東京に帰る、という運用になっていました。カシオペア・北斗星や貨物列車は、この区間の経営を引き継いだ青い森鉄道に乗り入れる形で運行を継続します。
さて、今回新幹線が開業した区間に七戸十和田という駅があります。しかしかつて七戸には七戸駅があったことはあまり知られていません。南部縦貫鉄道・七戸駅です。
経営分離された野辺地から七戸を結ぶ20キロあまりの私鉄で、マニュアル式のレールバスが1日5往復していました。丸い車体が雪の中を走る姿は、なんともいえない郷愁を誘いました。私がこの鉄道を訪れたのは96年の春。野辺地からレールバスに乗り込むと、お客は1人、2人… 2軸のレールバスは乗り心地は決してよいとは言えず、ゴツン、ゴツンと車体を縦横に振りながら走ります。
↑坪川にて。主力のレールバスは2両、キハ101と102。1962年富士重工。エンジンは日野DS90。自重9.5t。
乗客も少なく、利便性も悪い…よく経営が成り立つ物だと思ったものでしたが、新幹線が開業した折にはアクセス鉄道として新たな使命を帯びるからそれまでは…と懸命に走る姿は、健気ですらありました。しかし、残念ながら1997年に運航を休止、2002年には正式に廃止となってしまいました。
運行中止後、3回現地を訪れています。1回目は休止直後の秋。2回目と3回目はツーリングの途中に寄ってみました。線路や橋は撤去され自然に帰りつつありますが、七戸駅は未だに健在。会社と有志で車両はすべて保存されています。最後に訪れたとき、着々と工事が進む七戸十和田駅を横目に、会社の方は「新幹線が開業した暁には観光の目玉になれば…」と仰られていました。
↑廃止直後の七戸駅。すべての車両が屋外に展示されていました。
↑博物館でも展示されている元国鉄キハ10のキハ104。1956年帝国車輌製。縦貫には大きすぎた。
↑2008年訪問時。旧七戸駅には今でもすべての車輌が大切に保存されています。
↑駅も当時のまま。むしろ整備されて綺麗に
新幹線開業の華々しさの中に歴史あり。南部縦貫鉄道に思いを馳せる、そんな1日です。
事実、新幹線開業と引き換えに東北本線・八戸~青森間が、採算が取れないから、という理由で、JRから分離されております。ドル箱だけ頂いてあとは捨てるというやり方は廃止よりまだ幾分マシなのかもしれませんが、沿線の住民の鉄道離れはさらに加速しそうです。自治体やJRの更なる取り組みに期待したいところですね。
↑今回の開業で経営分離された区間を走る、JRの普通列車。15年前訪れた時は特急列車や貨物が行き交う中を客車鈍行がのんびりと走っていました。(野内~浅虫温泉) この列車を牽引するのは田端のEF81。寝台特急を牽引して東京からやってきて、昼間は東北の普通列車を引っ張り、また寝台特急を引いて東京に帰る、という運用になっていました。カシオペア・北斗星や貨物列車は、この区間の経営を引き継いだ青い森鉄道に乗り入れる形で運行を継続します。
さて、今回新幹線が開業した区間に七戸十和田という駅があります。しかしかつて七戸には七戸駅があったことはあまり知られていません。南部縦貫鉄道・七戸駅です。
経営分離された野辺地から七戸を結ぶ20キロあまりの私鉄で、マニュアル式のレールバスが1日5往復していました。丸い車体が雪の中を走る姿は、なんともいえない郷愁を誘いました。私がこの鉄道を訪れたのは96年の春。野辺地からレールバスに乗り込むと、お客は1人、2人… 2軸のレールバスは乗り心地は決してよいとは言えず、ゴツン、ゴツンと車体を縦横に振りながら走ります。
↑坪川にて。主力のレールバスは2両、キハ101と102。1962年富士重工。エンジンは日野DS90。自重9.5t。
乗客も少なく、利便性も悪い…よく経営が成り立つ物だと思ったものでしたが、新幹線が開業した折にはアクセス鉄道として新たな使命を帯びるからそれまでは…と懸命に走る姿は、健気ですらありました。しかし、残念ながら1997年に運航を休止、2002年には正式に廃止となってしまいました。
運行中止後、3回現地を訪れています。1回目は休止直後の秋。2回目と3回目はツーリングの途中に寄ってみました。線路や橋は撤去され自然に帰りつつありますが、七戸駅は未だに健在。会社と有志で車両はすべて保存されています。最後に訪れたとき、着々と工事が進む七戸十和田駅を横目に、会社の方は「新幹線が開業した暁には観光の目玉になれば…」と仰られていました。
↑廃止直後の七戸駅。すべての車両が屋外に展示されていました。
↑博物館でも展示されている元国鉄キハ10のキハ104。1956年帝国車輌製。縦貫には大きすぎた。
↑2008年訪問時。旧七戸駅には今でもすべての車輌が大切に保存されています。
↑駅も当時のまま。むしろ整備されて綺麗に
新幹線開業の華々しさの中に歴史あり。南部縦貫鉄道に思いを馳せる、そんな1日です。
by adv-kou
| 2010-12-04 11:23
| 鉄道
|
Comments(6)
Commented
by
ヒロシです
at 2010-12-04 20:17
x
観光誘致で沸く青森市を尻目に周辺自治体に丸投げするJRは許せません。
在来線、運行できなければ新幹線部分も青い森鉄道に移管すべきです。
新幹線の美名の下、地方の交通網が破壊されていくのを見続けていくのは耐え難いです。
在来線、運行できなければ新幹線部分も青い森鉄道に移管すべきです。
新幹線の美名の下、地方の交通網が破壊されていくのを見続けていくのは耐え難いです。
0
Commented
by
航
at 2010-12-04 21:06
x
>ヒロシさん
まったくもって同感です。誰がこんなことを許したんですかね~?
JRは金儲けをするべきではありません。インフラを守るのが使命です。
日本の交通網は我田引水でやった挙句にこの始末。ズタズタですね。
将来的なビジョンも何も無くその場しのぎで、今の国の姿と重なります。
まったくもって同感です。誰がこんなことを許したんですかね~?
JRは金儲けをするべきではありません。インフラを守るのが使命です。
日本の交通網は我田引水でやった挙句にこの始末。ズタズタですね。
将来的なビジョンも何も無くその場しのぎで、今の国の姿と重なります。
Commented
by
YOCCO
at 2010-12-06 05:06
x
東北人としては、新幹線全線開業は感慨深いものがあります。
そしてその一方で、別の問題も出てきますね。
山形も同じですね。
身近に感じる東京に自分も流出した一人ですが、、、(汗)。
野辺地、七戸は叔父が一時仕事のため暮らしていたので
感慨深く読ませていただきました。
そしてその一方で、別の問題も出てきますね。
山形も同じですね。
身近に感じる東京に自分も流出した一人ですが、、、(汗)。
野辺地、七戸は叔父が一時仕事のため暮らしていたので
感慨深く読ませていただきました。
Commented
by
航
at 2010-12-06 20:31
x
>YOCCOさん
野辺地、七戸に叔父さんがいたなんて!
叔父さんは縦貫にもきっと乗られたことでしょう!
山形はミニ新幹線ですが、JRがすべて狭軌から標準軌に改軌すれば、
また違った効果も出てきそうです。
やっぱり交通インフラは国が主導でやら無いといけないですね。
昔は防衛も絡んでいたので、もっと重要だったはずなのですが…
野辺地、七戸に叔父さんがいたなんて!
叔父さんは縦貫にもきっと乗られたことでしょう!
山形はミニ新幹線ですが、JRがすべて狭軌から標準軌に改軌すれば、
また違った効果も出てきそうです。
やっぱり交通インフラは国が主導でやら無いといけないですね。
昔は防衛も絡んでいたので、もっと重要だったはずなのですが…
Commented
by
農協イレブン。
at 2010-12-08 22:25
x
南部縦貫鉄道…相当な企業努力をしたけど国鉄清算事業団の土地が購入出来なかったりモータリゼーションには勝てず廃止になってしまった鉄道でしたよね。
2002年にツーリングで訪れましたが運悪く日曜でレールバスは見れませんでした。
その時はまだ野辺地駅舎や農林大学校駅?や踏切も残っていましたが現在はどうなってるのでしょうか?
97年当時は東北新幹線がミニ新幹線規格で行くから七戸は通らない予定でしたが廃止(休止)が決定してからフル規格に変更があったり不運な路線でしたね。
年に数回乗らないかもしれない新幹線と毎日、通学生や病院通いの高齢者が利用する在来線や路線バスを天秤にかけても新幹線が欲しい地方の代議士や役人の気持ちが未だに理解できません
2002年にツーリングで訪れましたが運悪く日曜でレールバスは見れませんでした。
その時はまだ野辺地駅舎や農林大学校駅?や踏切も残っていましたが現在はどうなってるのでしょうか?
97年当時は東北新幹線がミニ新幹線規格で行くから七戸は通らない予定でしたが廃止(休止)が決定してからフル規格に変更があったり不運な路線でしたね。
年に数回乗らないかもしれない新幹線と毎日、通学生や病院通いの高齢者が利用する在来線や路線バスを天秤にかけても新幹線が欲しい地方の代議士や役人の気持ちが未だに理解できません
Commented
by
航
at 2010-12-08 22:36
x
>農協イレブン。さん
廃止の要因はやはり土地購入問題でしょう。
5,000万円での購入か返還を迫られた野辺地~西千曳は
結局地元自治体が500万円で購入したそうですが、
休止中に老朽化した施設の復旧には及ばなかったようです。
今は線路跡は一部道路になったりしてしまっているようです。
本当に残念でなりません。
ちなみに七戸十和田駅は旧・営農大学駅近くにできたそうです。
地域の足を奪ってでも新しい道路や新幹線を作る…
これで本当に生活が良くなるのでしょうか!?
やっぱり何か間違えていますよね。
廃止の要因はやはり土地購入問題でしょう。
5,000万円での購入か返還を迫られた野辺地~西千曳は
結局地元自治体が500万円で購入したそうですが、
休止中に老朽化した施設の復旧には及ばなかったようです。
今は線路跡は一部道路になったりしてしまっているようです。
本当に残念でなりません。
ちなみに七戸十和田駅は旧・営農大学駅近くにできたそうです。
地域の足を奪ってでも新しい道路や新幹線を作る…
これで本当に生活が良くなるのでしょうか!?
やっぱり何か間違えていますよね。