2012年 06月 10日
思い出の中の列車たち№5 C62 3 |
●C62 3 函館本線・快速ニセコ
撮影日:1995年8月13日 然別~銀山
鉄道好きにもいろいろな分野があって、乗る人、撮る人、集める人、歩く人等々様々です。私は今は乗るのと集める(模型)のがメインですが、昔は撮る方も少しかじりました。撮る方はあまり才能が無かったようで、その後おとなしくなりましたが、「表現する」という事でいえば、“喋り”が立つ様になってきたかな、と思ってます。特に関西に来てから喋りの間合いとボケツッコミが前よりうまくなったかも(笑) そんな事はさておき、今回の「思い出の中の列車たち」は、乗っていないと言う点が、今までの回と異なります。今この列車が走っていたら、私は間違いなく撮らずに乗りに行くでしょう。
今回のお題は日本で最大にして最強の蒸気機関車、C62です。
当時、蒸気機関車はあまり興味の対象でなありませんでしたが、「思い出の中の列車たち№2」の深名線が廃止になる年でもあり、「ついで」に撮りに行ったに過ぎませんでした。上野から急行・八甲田に揺られて青森へ。50系の快速「海峡」で津軽海峡を越えて函館へ渡り、快速ミッドナイトで札幌へ。鈍行を乗り継いで深名線を巡ったあとにC62を撮りに行きました。確か道南ワイド周遊券+18きっぷの合わせ技だったかと思います。C62を迎え撃つのは急勾配の然別~銀山、有名な撮影地でした。
小樽運河を見たあと、夜遅い列車で銀山駅に到着してみると、駅舎は既に同業者で一杯。まだは入れますよ~と声をかけていただいたものの、寝れる気がしなかったので、真っ暗な中、歩いて撮影地へと向かいました。ようやく到着してみると、線路脇に立つ三脚、三脚、三脚… 今からしてみれば異様な光景です。適当な場所を見つけて陣取ると、先客が2人。それから夜通し線路っ端で話し合ってC62が来るのを待ちました。11時間は待っただろうか。そしてやってきたその時が上の写真。
急勾配にもかかわらず、東海道本線で特急を引いて戦後を支えたC62の足は恐ろしいほど軽かった。近郊型のディーゼルカー・キハ40がノロノロと上がってくる姿に比べたら、それはまさに一瞬。少し甲高い汽笛がいつまでも山々に響き渡っていました。でもC62の勇姿を脳裏に焼き付けるには十分すぎる瞬間でした。
当時「C62」のNゲージは、KATOからのみ発売でした。すぐに買ったのは言うまでもありません。しかし、当時の「C62」は一番無難な姿で製品化されており、北海道の大地をかけた、北海道仕様の重装備型のC62 3に比べるとあまりにもシンプルな物でした。でも人気高いC62、改造パーツは多数出ていました。それらを駆使して何とかC62 3にすべく改造しましたが、あまりにも改造箇所が多く、結局は諦めてしまいました。
国鉄分割民営化の際に復活したC62は、その巨体ゆえに維持費もかさみ、終いには資金が底を付き、その後JR北海道・苗穂工場内で再び眠りに付きましたが、模型では1999年マイクロエースから特定ナンバー機C62 3として発売されました。当時のNゲージは最もオーソドックスな姿を製品化するというのが暗黙の了解だっただけに、特定ナンバー機の製品化というのはとても画期的でした。もちろん購入したのは言うまでもありません。
憧れのC62 3がついに手元に… KATOのC62を改造する際に購入してあったパーツをすべて移植し取り付けました。C62がついに手元に! でもうれしいはずなのに、何か違和感があるかな~ その想いは今年KATOからリニューアルして発売されたC62を見て確信になりました。
ヘッドライト等の細かいディティールは目をつぶるにしても、イメージを決定付けるグラマラスなボイラーの造詣がマイクロエース品には無く、どこかのぺっ~とした印象があったのです。リニューアルされたKATOのC62はその辺りも的確に表現していました。このスタイルを見たとき、あ、これは間違いなくC62だ!と感じたのでした。(奥が1999年に購入したマイクロエースのC62 3、手前が今年購入したKATOのC62 3)
この建築限界一杯のグラマーなボディこそC62です。マイクロエースのC62は車高が高く、スタイルが崩れてしまっていました。(詳しい比較はこちらを)
それでもマイクロエースのC62、当時としては画期的でした。細部をかなり改造したので見た目はそう違いはありません。KATOの“新”C62が出来過ぎているだけです。10年以上私を癒やしてくれたマイクロのC62をねぎらう意味で、“新”C62と重連とし、急行ニセコを表現してみました。
C62 3同士という、実際にはありえない組合せですが、雰囲気は十二分です。ちなみにC62 3の相棒だったC62 2・スワローエンゼルは北海道でのお勤めを終えた後、京都の梅小路機関庫にて動態保存されています。昔はイベントで東京に来たりもしていましたが、今は重大な損傷があり修復されています。先日、新聞報道で修復し10月頃には動態保存に復帰するとの記事がありました。復活したら是非見に行かないと!
そしたらやっぱり2号機も欲しくなるのでしょうか!? いずれにしても、狭軌最大最強の蒸気機関車C62の復活を待ち望みます! だって、あの時の撮影地で、「またC62が走るとき、ここで会いましょう…」と約束しましたからね!
撮影日:1995年8月13日 然別~銀山
鉄道好きにもいろいろな分野があって、乗る人、撮る人、集める人、歩く人等々様々です。私は今は乗るのと集める(模型)のがメインですが、昔は撮る方も少しかじりました。撮る方はあまり才能が無かったようで、その後おとなしくなりましたが、「表現する」という事でいえば、“喋り”が立つ様になってきたかな、と思ってます。特に関西に来てから喋りの間合いとボケツッコミが前よりうまくなったかも(笑) そんな事はさておき、今回の「思い出の中の列車たち」は、乗っていないと言う点が、今までの回と異なります。今この列車が走っていたら、私は間違いなく撮らずに乗りに行くでしょう。
今回のお題は日本で最大にして最強の蒸気機関車、C62です。
当時、蒸気機関車はあまり興味の対象でなありませんでしたが、「思い出の中の列車たち№2」の深名線が廃止になる年でもあり、「ついで」に撮りに行ったに過ぎませんでした。上野から急行・八甲田に揺られて青森へ。50系の快速「海峡」で津軽海峡を越えて函館へ渡り、快速ミッドナイトで札幌へ。鈍行を乗り継いで深名線を巡ったあとにC62を撮りに行きました。確か道南ワイド周遊券+18きっぷの合わせ技だったかと思います。C62を迎え撃つのは急勾配の然別~銀山、有名な撮影地でした。
小樽運河を見たあと、夜遅い列車で銀山駅に到着してみると、駅舎は既に同業者で一杯。まだは入れますよ~と声をかけていただいたものの、寝れる気がしなかったので、真っ暗な中、歩いて撮影地へと向かいました。ようやく到着してみると、線路脇に立つ三脚、三脚、三脚… 今からしてみれば異様な光景です。適当な場所を見つけて陣取ると、先客が2人。それから夜通し線路っ端で話し合ってC62が来るのを待ちました。11時間は待っただろうか。そしてやってきたその時が上の写真。
急勾配にもかかわらず、東海道本線で特急を引いて戦後を支えたC62の足は恐ろしいほど軽かった。近郊型のディーゼルカー・キハ40がノロノロと上がってくる姿に比べたら、それはまさに一瞬。少し甲高い汽笛がいつまでも山々に響き渡っていました。でもC62の勇姿を脳裏に焼き付けるには十分すぎる瞬間でした。
当時「C62」のNゲージは、KATOからのみ発売でした。すぐに買ったのは言うまでもありません。しかし、当時の「C62」は一番無難な姿で製品化されており、北海道の大地をかけた、北海道仕様の重装備型のC62 3に比べるとあまりにもシンプルな物でした。でも人気高いC62、改造パーツは多数出ていました。それらを駆使して何とかC62 3にすべく改造しましたが、あまりにも改造箇所が多く、結局は諦めてしまいました。
国鉄分割民営化の際に復活したC62は、その巨体ゆえに維持費もかさみ、終いには資金が底を付き、その後JR北海道・苗穂工場内で再び眠りに付きましたが、模型では1999年マイクロエースから特定ナンバー機C62 3として発売されました。当時のNゲージは最もオーソドックスな姿を製品化するというのが暗黙の了解だっただけに、特定ナンバー機の製品化というのはとても画期的でした。もちろん購入したのは言うまでもありません。
憧れのC62 3がついに手元に… KATOのC62を改造する際に購入してあったパーツをすべて移植し取り付けました。C62がついに手元に! でもうれしいはずなのに、何か違和感があるかな~ その想いは今年KATOからリニューアルして発売されたC62を見て確信になりました。
ヘッドライト等の細かいディティールは目をつぶるにしても、イメージを決定付けるグラマラスなボイラーの造詣がマイクロエース品には無く、どこかのぺっ~とした印象があったのです。リニューアルされたKATOのC62はその辺りも的確に表現していました。このスタイルを見たとき、あ、これは間違いなくC62だ!と感じたのでした。(奥が1999年に購入したマイクロエースのC62 3、手前が今年購入したKATOのC62 3)
この建築限界一杯のグラマーなボディこそC62です。マイクロエースのC62は車高が高く、スタイルが崩れてしまっていました。(詳しい比較はこちらを)
それでもマイクロエースのC62、当時としては画期的でした。細部をかなり改造したので見た目はそう違いはありません。KATOの“新”C62が出来過ぎているだけです。10年以上私を癒やしてくれたマイクロのC62をねぎらう意味で、“新”C62と重連とし、急行ニセコを表現してみました。
C62 3同士という、実際にはありえない組合せですが、雰囲気は十二分です。ちなみにC62 3の相棒だったC62 2・スワローエンゼルは北海道でのお勤めを終えた後、京都の梅小路機関庫にて動態保存されています。昔はイベントで東京に来たりもしていましたが、今は重大な損傷があり修復されています。先日、新聞報道で修復し10月頃には動態保存に復帰するとの記事がありました。復活したら是非見に行かないと!
そしたらやっぱり2号機も欲しくなるのでしょうか!? いずれにしても、狭軌最大最強の蒸気機関車C62の復活を待ち望みます! だって、あの時の撮影地で、「またC62が走るとき、ここで会いましょう…」と約束しましたからね!
by adv-kou
| 2012-06-10 22:06
| 思い出の中の列車たち
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