始まりの旅 |
ちょうど湯ノ花温泉から帰って出社した時、本部長に呼ばれ「4月から大阪だから…」と切り出されてからは、今からして思えば少し精神的に追い詰められていたのかもしれません。そして3.11… 家探しのために奈良に来ていた為、慌てて帰りました。それからは余震と放射能に怯える毎日。スーパーから食品が消え、水も危ないという話が出回りました。
そんな中、3月31日、家を出て奈良に単身赴任。4月は何もわからないまま過ぎ、5月は覚えるのに精一杯、6月はようやく少し慣れてくる、そんな生活でした。それでもちょくちょく帰り、東京での一時を過ごしました。
そして8月。いよいよ産休に入り、カミさんを故郷である盛岡へ送り届けます。盛岡なら東京よりも幾分のんびりできるはず… そう思い、青森駅で別れ、寝台特急日本海で大阪に帰りました。
9月、おなかがパンパンに膨れたカミさんが突然奈良にやってきました。うれしかったけど、それ以上に心配でした。一緒に海遊館に行ったり、天保山の観覧車に乗ったりして一時を楽しみました。「次は生まれた時だね。」そう言って別れたのでした。
「予定日は9月28日です。」何回目かの検診の時に早くも出産予定日が言われました。ところが肝心の9月28日を過ぎても連絡は無い。10月初めの日曜の晩、ふと思いました。ひょっとして父の帰りを待っているのか…? そう思うといてもたってもいられないのでした。ここは思い切って始まりの旅に出よう!
10月4日(火)夕方、京都駅に向かい寝台特急日本海の到着を待ちます。乗車口に並んでいると、おばあさんが車椅子に乗った大おばあさんと一緒に列に並んでます。きっと見送りかな?と思っていたら、日本海が到着したら「乗ります」と言うではありませんか! 周りにいたみんながビックリ! 24系は作りが古いので、出入り口には段差があるし、入口だってとても狭い! でも4人がかりで何とか引っ張りあげて乗せることができました。18時22分の出発から少々遅れましたが、なかなかのチームプレイでした。
B寝台下段で独り晩酌していると、いつしか向かいの寝台の方と話し始めます。昔はよくある光景でしたが、最近は一人を好む?人が多く、なかなか話す機会がないですね。それはキャンプ場も同じこと。話を聞くと、出稼ぎ帰りであり普段はタンカーの機関士として船に乗務して3ヶ月ぶりに家に帰ること、東北・北海道の話で盛り上がり北に惹かれるのは先祖がアイヌじゃ無いのかとか、農業向きだから農家になれ、年相応に見えない等々言いたい放題言われ、お酒の中の会話を存分に楽しんだ後、魚津を過ぎたところで就寝。
翌日目が覚めると、白む空のなか日本海の荒波が窓から見えました。心の中で隣人に挨拶し、5時32分、定刻通り秋田で下車。
日本海の編成は8月に乗ったときと同じ物でした。何かの縁? 秋田駅に降り立つのは20年ぶりくらいかな? 当然その時は新幹線も無かったし、鈍行客車列車全盛の時代。あの時の旅は今でも鮮明に記憶しています。
6時2分発のこまちに乗り換え、盛岡へと向かいます。秋田新幹線、初めて乗りましたが、在来線とまったく変わらず、むしろそれが新鮮でした。雫石を過ぎると、うっすらと雪をかぶった岩手山がお出迎え。7時28分盛岡に到着。息が白い! 今期一番の冷え込みだそうで、5度まで下がったそう。Tシャツに上着1枚じゃさすがに寒かった。
実家に行き一休みすると、カミさんが出産日超過の為入院するので付き添います。この日は半日病院で過ごしたのでした。
6日(木)は丸1日病院で過ごしましたが、兆候なし。二人きりでゆっくり話をすることができました。
7日も兆候が無いので、午後からは実家のビニルハウス解体を請け負い、農作業を開始。ユニフォームと道具は近所のホーマックで調達。昨年仕事の関係でビニルハウスを立てたり解体したりしたのがとても役に立ちました。
8日も兆候が無いので、遅れていた稲刈りに参加。農家は人手不足が予想以上に深刻。朝から晩まで田んぼの中でした。昼頃、入院していたカミさんが一時帰宅。到着後すぐに入院してしまったので、僅かな間一緒に普通の生活をする事ができました。しかし仕事をいつまでも休んでいるわけにはいきません。産まれる気配がまったく無いので、翌日発の日本海で一旦大阪に帰ろうと思い、切符を購入しました。
9日(日)も前日に続き稲刈りに参戦。しかし昼過ぎ、カミさんが破水していることがわかり、再び入院します。当然日本海はキャンセル。
10日は1日病院で付き添い。精神的な疲れがみえてきておりましたが、こんな時だからこそゆっくり一緒にいられることに感謝です。
そして10月11日(火)。早朝3時に電話があり、病院に急行。すぐさま処置に入り、4時37分、待ちに待った息子が誕生しました! 多くの人が周りに集まる人になって欲しい、活気がありながらも古きを大切にして欲しいという願いから、「湊之介(そうのすけ)」と命名しました。
湊が迎えた初めての朝。霧の中から太陽の光が力強く照っていました。
やがて霧は晴れ、盛岡に来て以来はじめての晴天となりました。何よりもうれしいことに岩手山が久々に全容を現しました! 湊、最高の夜明けを迎えたね!
会社には11日まで休むと申請していましたが、12日も休みにして頂きました。但し、13日からは本社(東京)で会議があるので、それには出席しなくてはなりません。12日中に大阪に帰らなければ… 花巻から飛行機だな。切符は携帯でも取れるので早速購入。さて、おみやげを買いに行かなくては。盛岡まで行きおみやげを買って会社に送りました。ホームには今では大変珍しくなったED75の姿が。かつてこいつに引かれた普通列車に乗るため何回も東北に来たけど、客車鈍行廃止から15年余り、このタイミングで見れるとは思わなかったな~
なんだかんだとあっという間に1日が過ぎ去り、夕暮れに。この日の夕焼けは一際綺麗に見えました。
12日。カミさんも湊も順調に回復していることを確認し、昼過ぎに花巻空港へ。
新幹線の車体よりも小さな飛行機。E170というブラジル産の飛行機だそうです。14時に離陸。滑走路を離れると、宮沢賢治が愛したイーハトーウ゛から一気に地図の世界へ。そして雲の上へと上がり水平飛行に。
↑笹川流れが見えました。思い出が一杯詰まった、大好きなところです。
↑新潟上空を通り、松本へ。北アルプス・穂高連峰が見えます。昔、この時期に授業をサボってカミさんと登ったなあ~ 紅葉がとてもきれいだった…
↑遠くに笠ヶ岳を発見。その名の通り、笠の形をしています。山岳部の夏合宿最後の山だった。
↑そして生駒山上空を飛行。伊丹に降りる飛行機がいつも会社から見えるので、下を覗き込むと会社が見えました。支店のみんなは元気かな? 大分迷惑かけたな~
15時15分、伊丹空港へ着陸。そのまま会社に行って、打ち合わせを行った後、会議の資料をもって生駒に帰宅。
翌13日、京都発8時22分ののぞみで東京へ行き、そのまま会議に出席。夜は懐かしい東京の面々と飲み会。
14日は終日会議。夜は懇親会。
15日(土)、午前中会議の午後式典。本当は後輩の結婚式だったけど、仕事が急に割り込み参加できず(涙) ノリとじょるの晴れ姿をこの目で見たかった… 式典終了後、急いで二次会の会場へ行き、最後にチラッと幸せな二人を見ることができました。
いつも変わらぬ山岳部の面々。若い時に共に困難を分かち合った最高の仲間達。
20時28分大宮発最終の新幹線に飛び乗り、22時30分再び盛岡に舞い戻りました。この夜は駅近くのホテルに宿泊。
16日、盛岡駅前からバスで病院に行き、カミさんと湊に再会しました。ますます元気になっており、一安心。東京から両親も駆けつけ、久々の両家ご対面。私は夕方まで病院に留まり、夜は両親と共に繋温泉に宿泊し、ゆっくり湯船に浸かり休みました。
そして10月17日(月)。病院で両親と別れ、私も夕方には経たねばなりません。
湊ちゃん、次は11月に会いに来るね。それまで元気で! 18時、花巻空港発の飛行機で関西へと帰りました。
約2週間のバタバタした旅でしたが、このタイミングで長期間カミさんと、そして湊とゆっくりできたことに感謝致します。そして支えてくれた皆様にも感謝感謝! これは始まりの旅。これからが本当の、人生の旅路です!!
無事に生まれて良かった。
日記、感動しました。何度読んでも感動する日記ですね。
湊之介君もいつかこの日記を読んだら航さんのところに産まれてよかったと思うでしょうね。
急に寒くなりましたが、ご自愛ください。
いや~、春先から色々と大変だったんですね~(^-^;
家族の大変なときに転勤が重なるとは・・・
でもまぁ、結果として絆を深めることが出来たのでは
ないでしょうか?
まだまだ続く大阪生活でこの先も暫らくは大変でしょうが、
長い人生、後で振り返ればきっととても良い思い出になる
ことでしょう。
トーチャン、頑張って下さいね~(・∀・)ノシ
長旅も苦になりませんでしたね!
さぞいい旅だった事ではないかと思います。
もうすぐ30歳と28歳になる子供達の幼子だった頃を思い出します。
今となっては、第三子を望めないので、孫に期待します・・・
ありがとうございます!
実際は必死でしたが、何とかうまく立ち回れて良かったです。
子は親を選べませんから、良かった、と言ってくれれば一番良いのですが。
でもまだまだ先の話ですね(笑)
今は大きな目をキョロキョロさせて泣くだけです♪
2011年は上半期だけでも色々なことが起こりすぎました。
私は幸運にもうまく動けただけだと思います。
奈良は東京よりも自然も多くて、きっと家族も喜んでくれると思います。
今はがんばるのみです!
奈良にも遊びに来てくださいね~!
ありがとうございます!
まだわかりませんが、顔のパーツは私似なような…
某お方のように親子でツーリングできるようになりますでしょうか?(笑)
今度ゆっくり飲みましょう!
奈良にも遊びに来てくださいね!
ありがとうございます!
ようやく私もと~ちゃんになることができました☆
飲兵衛さんとはもう1年くらいお会いしてないですね。
また飲みに行きましょう!
関西に来て酒力がパワーアップしましたよ(笑)
私の旅はまだまだ続きます!
ありがとうございます!
今度帰国された折には奈良観光と絡めてぜひお立ち寄りください。
久々に昔話でもしましょう~♪
一昔ならB737だったのでしょうが、今E170は地方線の主力機となっているそうですよ。
小さいうちのビデオは後の宝になりますよ~。何時かは親子でツーリングなんてのも夢ではないですね。
湊之介君も航さんのように、多くの仲間から「湊さん、湊さん」と慕われている様子が目に浮かびます。
新たな旅路、困難以上に喜びも多いかと思います。
また旅路のどこかでご一緒させていただく際は、どうぞよろしくお願いいたします。