その時、東日本大震災 |
東京も鉄道がすべて止まり、大混乱だったそうですね。しかし今日東京に戻ると、意外に平穏なので驚きました。ですが、余震が相次いでおり、たった今も携帯から緊急地震速報が入って揺れがきました。昨夜はさぞ不安だったことでしょう。
私はというと、10日から大阪・奈良に出張し、一人で家探しをしておりました。11日午後、生駒市で物件を見て歩いている時、確認の為に支店に電話したら「地震の為繋がり難くなっている」とのアナウンスを聞いて、初めて地震があったことを知りました。15時半頃だったでしょうか。慌てて大阪支店に電話すると、「大変なことになっている」との話なので、とりあえず長田の支店に戻りました。その間、家族や親族には連絡が取れ、少し安心しましたが、テレビで報道される状況や余震が多く避難しているという話、そして繋がらない電話に不安になり、東京に戻ることに。ホテルに荷物を置きっぱなしだったので、宿泊していた奈良市に一旦戻り、JRで京都へ。その間ワンセグで情報を確認しますが、帰宅できない人々が歩いている姿は衝撃的でした。それとは対照的に関西地区は平和そのもの。このギャップにやり場の無い憤りを感じてしまいました。19時過ぎ、京都駅に着くと新幹線は不通。羽田は運行再開との情報があったので、じゃあ伊丹か関空か、と考えていると、茨木にいる兄から泊めてくれるとのありがたい連絡。東京に帰るのは不可能なので、とりあえず厄介になることにしました。
朝、テレビを付けると再び現実に引き戻されます。酷い状況だ… 妻も自宅に帰ることができず、会社に泊まってたとの事。まずは帰らなければ。兄に駅まで送ってもらい、茨木から京都へ。新幹線は正常に動いていましたが、在来線が遅れており、乗るはずの新幹線を逃がしてしまいます。後続ののぞみに乗り込み、名古屋まで立ち席、そこから品川までは空いてる席を見つけ座りました。品川に着くと、駅は人で溢れています。山手線も止まっており、動けません。都バスを調べると妻の会社がある目黒まで行く路線がありましたが、人が多すぎて乗り場がわかりません。ウロウロしていると、目黒行きのバスがプリンスホテル脇の小道を走っていくのが見えたので、歩いて追いかけると停留所がありました。しばらく待つとバスがやってきて、13時、無事妻と合流することができ、一緒に地下鉄で帰宅しました。
家の中は別段荒れていることも無く、一安心。でもテレビを付けると、壊滅した街や避難する人々の姿、そして連鎖する地震に原発の放射能漏れ… 余震や停電、断水の可能性も続き不安ですが、なんとか乗り切らなくてはなりません。この先どうなるか予想できませんが、皆様、協力して頑張っていきましょう!
余震に気をつけて頑張ってください。
我が家でも裏の建地ブロックにヒビが入りましたが
家族は無事でした。
先ほど茨城の友人からも無事の連絡があったのですが
石巻の友人からまだ連絡がないので心配です。
三陸海岸はバイクや列車で何度も通った地域でニュース画像で見おぼえある場所が映ると心が痛みます。
それに原発の見えない被害も心配です。
今回の地震では現代社会の脆さが出ましたが
自分の地域にやってくるかもしれない災害から身を守るために
日頃から防災意識を持たねばなりませんね。
関東も相当揺れたそうですね。
妻の実家がある盛岡は停電が続いているそうですが、
無事だと聞いております。
ただ、東北地方沿岸の被害を考えると、いたたまれません。
一人でも多くの方が救助されるのをお祈り致します。
余震が続き、さらには原発の問題と、しばらくは混乱も続きそうですが、
頑張っていくしかありません。
農協イレブンさんもお気をつけて、お互い頑張りましょう!
それと、こんな時だからこそ人と人の繋がりを大切にしたいですね。
ネットを通じてでも、話ができるだけ幾分気が楽になります。